誇りも、喜びも、悔し涙も。親子3代がつなぐ「キムラ」の味
野毛の地に店を構えて67年目を迎える洋食キムラ。名物は創業当時から変わらないハンバーグ。身も心もほっこりと温まり、思わず笑顔になるそのひと皿には、親子3代のさまざまな思いが込められていた
洋食キムラの2・3代目に聞いた
「100年店を続けること」
前日に軽く仮焼きし、冷蔵庫で一晩寝かせたタネをふたたびフライパンで焼くハンバーグは、まろやかな特製デミグラスソースとからみながら、口の中でほろほろと溶けていく。2日間かけてできあがるそのひと皿は、60年以上変わらないキムラの看板メニューだ。
悟さんの父親である富士太郎さんが関内に洋食屋を開業。職人気質で頑固一徹。けれど富士太郎さんが作るハンバーグは、ほっこりとやさしい。この味を継ぐことになってから悟さんの波乱の日々が始まった。
当然、レシピは教えてくれるものだと思っていたが、父親はそんなそぶりも見せない。ならば教えてもらおうと近くによれば背を向けられ、文句を言えば、フライパンが飛んでくる始末。仕方なく、遠目から観察しては分量や加減を図り、残り物を食べてはキムラの味を五感で学んでいった。たまに料理を任せられると常連客に父の味と比べてどうかと聞き、「全然違う」とたしなめられた。でも、そのすべてが勉強だった。
洋食キムラの二代目店主・貴邑(きむら)悟さん(左)と息子の三代目・智さん
67年続く洋食店の
変わらぬおいしさ
「プロの評論家じゃないから、しょっぱいか辛いかすっぱいか、本当にざっくりとした回答だけど、みんないい加減なことは言わない。そこにキムラの味のヒントがたくさん隠されていたんです」。富士太郎さんが作ったキムラの味は、想像よりもはるかに深く、人々に愛されていたのだ。
富士太郎さんが亡くなる数日前、悟さんは病院に呼び出され「キムラの味は死んでも変えるな」と言われた。
「そのときは、気軽に『わかった』と答えたけど、大変な約束をしてしまったと後悔しました」。味を変えないということは、一生父を越えられないということ。その悔しさが次第に募っていったという。
それでも悟さんが富士太郎さんとの約束を守り続けたのは、職人として父・貴邑富士太郎を尊敬し、キムラの味が好きだったからに他ならない。
越えられないなら、ひとりでも多くの人をキムラの味で喜ばせたい。その一心で働き続けていたら、ファンはどんどん増えていった。2号店である野毛店のオープン当日は、200人以上のファンで店内は埋め尽くされた。その光景を見て、悟さんは少しだけ「父を越えられた」と誇りに思ったという。
野毛本通りの端にある洋食キムラ野毛店。店内は落ち着いた雰囲気
3代目に引き継がれた
「変わらない」という挑戦
洋食キムラは、今年新たな道を歩み始める。悟さんの下でコックを務める息子・智さんが野毛店で三代目としてキムラの味を継ぎ、悟さんは休業していた花咲町店を秋には再開し、「新しいキムラの味」を、のんびり創造していく予定だという。
二代に渡って守られてきた味について、智さんはどう思っているのだろう。
「食材や人の好みを含め、いろいろなものがめまぐるしく変わっていく中で、ひとつのものを維持していくことはものすごく大変なこと。一般的には新しいことを始めることが挑戦だと言われますが、味を変えないことは決して簡単なことではなく、むしろ大きな挑戦だと思っています」
最後にふたたび悟さんに聞いてみる。夢はありますか?
「100年続いて初めて老舗と名乗れるもの。私はそのキムラの夢をつないだだけ」
きっと100年経ってもキムラの味は変わらない。でもそこには、初代・富士太郎さんがこだわった誰をも幸せにするやさしい味をベースに、二代目・悟さんの多くの人をキムラの味で喜ばせたいという願いが重なり、さらに秋からは三代目・智さんの新しい挑戦が加わる。そうしてキムラの味はさらに深みを増し、ますます熟成されていくのだ。
貝殻型の鉄板に盛られて登場するハンバーグ。目玉焼きは真珠をイメージ
洋食キムラ 野毛店
横浜市中区野毛町1-3
TEL.045-231-8706
営業/11:30〜14:00(LO)17:00 〜21:00(LO)
土11:30〜21:00(LO) 日・祝11:30〜20:00(LO)
月定休(祝の場合翌休) 席数80 予約可(4名以上コースのみ)
アクセス/桜木町駅より徒歩6分
※このページはオズマガジン「横浜」特集号より抜粋したものです。全文は2016年3月12日発売のオズマガジンに掲載されています。
初代・富士太郎さんが芥川龍之介の『河童』に感銘し、みずから描いた河童像のロゴに
- 撮影/千葉裕子 取材・文/トライアウト(伊藤新)